theme「組織」
試⾏錯誤の2号⽬も無事発刊!!
⽉刊「eso.lab」は、えそらフォレスト株式会社の社内報です。代表である細⽥洋平の⾔葉を福岡、東京、宮崎に事務所のスタッフに届けることを⽬的として企画されたものです。グループチャットで語るべきテーマを決定して、インタビューを実⾏して、その⾳声データを書き起こして、クラウドのドキュメントでみんながチェックを⼊れて、電⼦書籍化されたこの社内報はkindleにアップされています。
顔を合わさずとも、共感と能⼒が結集されれば、なんとかかんとか知的編集物は出来るという挑戦でもあります。そのやりとりがなかなかにエキサイティングなのです。その⾯⽩さが伝わっていると嬉しいです。第2号⽬もいろいろありました。でもしかし、試⾏錯誤の上に、なんとか発刊です。
⽉刊「eso.lab」編集部
(下記、Kindleでも閲覧できます。)
月刊「eso.lab」編集部; 細田洋平; くらげ; 中村修治. 月刊eso.lab 第2号: 森と社長 (キャプロア出版) (Kindle の位置No.1-7). Kindle 版.
⽬次
試⾏錯誤の2号⽬も無事発刊!!
⽬次
はじめに。
えそらフォレスト代表・細⽥洋平インタビュー
私たちである理由。
インタビューを終えて。
貧乏ゆえの教養について。
⾃然と共⽣する新しい⽣活⽂化の担い⼿となる 。
えそらフォレスト代表・細⽥洋平インタビュー
はじめに。
今回のテーマは「組織」みたいなこと。えそらフォレストの正式名称は、えそらフォレスト株式会社である。株式会社を前に持ってくるか!?後ろにするか!?ワタシの経験上、その選択のポイントは、語呂の良さでしかなかった・・・。しかし、細⽥洋平は、後ろ株にこだわったと⾔う。そんなこと⾔う社⻑は、はじめてだった。みんなに「えそらフォレスト」のことを先に考えて欲しいから、後ろ株にしたかったのだとさ・・・。
株式会社と書く前に「えそらフォレスト」って書く意味。考える意味。そんなことが少しだけ聞き出せたと思う。考えれば考えるほど深く踏み込めば踏み込むほど「私」ではなく、「私たち」なのである。
《有限会社ペーパーカンパニー・中村修治》
組織って!?
インタビュー実施/2018年11⽉10⽇ 15時 〜 16時30分、インタビュー場所/喫茶室ルノアール 品川⾼輪⼝店
− 今回はインタビュアーを私(くらげ)が担当いたします。よろしくお願いいたしまします。
よろしくお願いいたします。くらげさんは⽿が悪いとお聞きしましたが、実際に話してみると普通ですね。
− ⼈⼯内⽿という機械を埋め込んで聞いているんですが、そのあたりは話すと時間が⻑くなりますので(笑)さて、まずは前回のeso.lab(第1号)を振り返りたいと思います。
前回のeso.labのインタビューは初稿に私(ホソダ)の解釈と違うところがありました。「あれ?なんか違うな」って。ここをどうしたらいいかで結構悩みました。直接修正したいとも考えたのですがどうもうまく⾏かないのです。結局「違和感がある」とライターのくらげさんや中村さんに連絡したらうまくリライトしてくれてイメージに近くなりました。こういう細かい作業は皆でやっていくのがいいなぁ、と思いました。ただ、全体的には本当に皆さんがうまくまとめていただいて⼀つの原稿になっているんですよ。これは⾃分たち(社内)だけでは出来ないことです。この社内報を企画してよかったですよ(笑)
− ありがとうございます。そう⾔われると嬉しいです。細⽥さんは⽂章を書くのは得意でしょうか?
私は⽂章を書くのは得意じゃないんです。⼀度書き始めると内容が広って起承転結も弱いし書いていて納得がいかないものになってしまうんですよ。ちょうどいい⽂章が書けないんですね。話もそうで、⼀度話し始めるとあれもこれも思いついちゃうから脈絡もなく話してしまう。聞く⼈からするとわかりにくくなるんです。これが「ホソダの話がわかりにくい」と⾔われる所以かな(苦笑)
− わかりにくいのをわかりやすく形にすることがライターの仕事なので存分に喋ってください。ところで、細⽥さんは⼀つ⼀つの⾔葉を選ぶように喋っていますが、それはいつもの癖でしょうか?
あまり意識したことはないですが、そうかもしれませんね。⾔葉というのは意味が本当に伝わっているかわからないところがあります。だからどんな⾔葉を使ったらいいかな?といつも考えているんです。それでも「わかりにくい」と⾔われるのが困るところですが(笑)でも、⾔葉の使い⽅⼀つで経営の形が変わるとも思っています。
− ⾔葉で経営の形が変わるとは?
⾔葉には⼀⼈称や⼆⼈称、三⼈称があります。うちの会社では物事を話すときに三⼈称にしようって⾔っているんですよ。会社の話をするときって「私が」とか「お客様が」とか⼀⼈称・⼆⼈称が多い。でも、それだと⼩さな世界で完結している気がします。会社というのは社⻑がいて社員がいてお客様がいてというところが基本ですけど、本当はもっと広い範囲に跨っています。だから、「私たち」という三⼈称で考えようと。えそらとしては三⼈称的な活動がしたいんですよ。
私たちである理由。
− 「三⼈称的な活動」とは具体的にどんなものでしょうか?
「私たち」というとき、従来の関係を超えて普段は⾒えない⽅々のことも「私たち」として考えてみる。そういう活動ですね。「私たち」とは誰か、という問いかけかもしれません。それをどう事業にするかはまだ思いついてないのですが…。
− そのような考え⽅は昔から持っていましたか?
昔は新しいことが出来ていくというのが楽しい時代もありました。でも、⼤⼈になるに従って若いうちは⾒えないものが⾒るようになる。⽭盾に気づいていく。前回の話でも出ましたが、「⼦供の保育費が⾼すぎて働いても払えない」と泣いてやめていくお⺟さん社員、病気で休職して⾟いときなのに給与が減って苦しむ社員がいました。これはおかしいんじゃないか、搾取じゃないか。これでいいんだろうか、と悩むようになりました。
あと、前の会社で障害者雇⽤率を達成するために障害のある⼈を雇うために調べたんですが、重度障害でも軽度障害でも障害者としては「⼀⼈」じゃないですか。(※重度障害者なら⼆⼈にカウントされることもある)そうなると軽度の⼈を雇っていきますよね。じゃ、重度障害に⼈はどうなるんだろうと。こう考えると「⾒えない社会」ってのがある。「私たち」ではない社会が広がっている。「私たち」というのをもっと広げなきゃいけない。
− 「私たち」を拡張しなければならないのはなぜでしょうか?
今の社会はかっての地球が貯えた資源を使って成り⽴っていています。いうならば親の財産を使い潰して、将来の世代に負債を作って浪費してるようなもんですよ。これでは地球が持たない。だから「私たち」という視点で考えることで少しでも持続可能な社会を作らないといけないんです。
− 「私事」として社会の問題を引き受けるという理解をしました。どうすれば「私たち」を広げて⾏くことが可能になると考えますか?
「教養」でしょうか。広い視点を⼿に⼊れるためにはお⾦やものだけあってもだめで、それに基づく教養がないとだめなんですよね。もの・⼈のつながりがあって、それに気づいて初めて幸福が⽣まれると思います。
教養とは何か!?
ー 細⽥さんの考える「教養」とはなんでしょうか?
⼀⾔で⾔うなら、さまざまな視点を持てるようになることですね。顧客を知る、市場を理解する、仕⼊先の⽴場に⽴ってものを考えるとか、そういう実務上でも役に⽴ちます。しかし、それ以上に思想的⽴場が違う⼈がなぜ違うのかを知る、 ⾃分たちが⾷べているものがどのように作られている知る、 いまでも5⼈に1⼈は5歳までに死んでしまう国の⺟親たちの気持ちを知る・・・。ということで広く世界をとらえることができます。
− それは「私」を知ることでもありますね。
そうです。他者を知って我が事として捉えるって、まさに「⾃分を知る」ことなんですよ。回り回って何もかにもが「⾃分」に戻ってくるんです。⾃分と他者が⼀体になるというか・・・。まさに森ですよ、これは。
ー 「教養」は仕事上特に必要はない、と考える経営者も多いと思います。
これまでは会社は効率的に⽬の前の仕事を淡々とクリアする労働者を「よい労働者」としてきました。でも、社会がどんどん多様化して、仕事の質もかっての⽇本が得意としていた⼯業と変わっています。また、⼀⼈⼀⼈が⽬の前のことを「効率的に作業する」って「⼤量に⽣産する」のに向いていても「持続可能性」にはつながらない気がします。教養を⾝につけて仕事をするのは⼤量⽣産から抜け出して持続可能な社会への変化へ不可⽋です。教養を⾝につけることでモノは「もう⼗分」「enough」と⾔えるのではないかと。 教養を⾝につけるということ⾃体が豊かだなといえるんですね。
ー 持続可能性の社会のためには教養が必要なのがわかりました。では、教養を⾝につけるためにはどうしたらいいでしょうか?
教養は実務だけで鍛えられるものではないです。経済のこと、社会のこと、科学のこと、歴史のこと、いろいろなことを知り、考えることが不可⽋です。でも、学校ではそういうこと教えてくれないし、社会に出てもなかなかそういう機会に出会わないんですよね。企業が教養を体験できる場になれるといいのですが。多様性がある社員を集めるとかですね。ダイバーシティですね。
− ダイバーシティでは普段交流のないタイプの⼈とコミュニケーションをとるのが⼤事になりますが、会社とは「似た⼈」が集まりやすいです。
経営者としてはやっぱり「似た⼈」が多いほうが効率的なんですよね。どうしても会社を⽴ち上げたばかりだったり儲かってないときは効率に気が⾏ってしまう。でも、利益を上げてきたら気配りとか優しさってのを⼤事にしていかないと持たないんです。不思議と「似たような⼈だけ」だと組織って衰退するんですよね。だから多様性が⼤事になります。無駄に⾒えて無駄なじゃないというか…。
− えそらには宮崎県に事務所があります。でも、それは「無駄」にも⾒えます。社⻑は東京にどんと構えて宮崎には⼈を別においていたほうが経済効率という意味では良さそうです。
傍から⾒たら「無駄」でしょうね。でもね、ホソダがやりたいのは東京だけで経済を回すんじゃなくて、地⽅創⽣です。すなわち仕事を作ることです。地⽅って資源はあります。その農産物や資源に付加価値をつけたい。商品として魅⼒的になるものをもっと作っていきたいんです。
− その拠点として宮崎事務所なんですね。なんで宮崎なんですか?
この事業を始めようとしたときに社内で「どこならいいか」と検討したら福岡や岡⼭とか候補がいくつもでました。結局、宮崎県綾町に今もすごく助けてくれる⽅がいて、ここに決まったんですよ。
− 綾町を中⼼とした森⼀体はユネスコ・エコパークに指定されているのですが、最初から森との共⽣ということで綾町を選んだわけではないのですね。
最初は⺟の地元・⾃分のルーツのあるところに⾃分の会社を持ち込むのは公私混同してるみたいで嫌だったんですが、導かれるように条件が噛み合って綾町になったんですね。綾町は1970年代、⽇本が⾼度経済成⻑期からこれではいけない、森を守ろうと条例で開発規制をしました。それで2012年にユネスコで認定されたくらいなんですけど、森の保護を推進してきた町⻑がいなくなってトーンダウンしてるんですよ。いいコンセプトのものが⻑年続いているのにもったいなって。それをえそらで地⽅創⽣で頑張りたいですね。
− 綾町、ひいては地⽅創⽣のためにこれからも頑張ってください。さて、今回はこのくらいでお時間ですが。いろいろと話が広がりましたが、これからも幅広い話を聞きつつえそらの本質に迫っていきたいです。
はい、これからもよろしくお願いいたします。では、お疲れ様でした。
インタビューを終えて。
花びらは散っても花は散らない。形は滅びても⼈は死なぬ。
これは、昭和24年に発⾏された『意訳歎異抄』の中の⾔葉である。親鸞は、法然は、弟⼦に伝えるときに、本当にこのような⾔葉を使ったのだろうか?弟⼦たちによって美化されたものなのか?真実を伝えようとすると、⾔葉もまた純化されるということなのか?もし?この⾔葉を、⼈に良く⾒られようと思って使っているとしたなら、どんな聖⼈も、⾃我にとらわれていたということでもある。細⽥洋平の⾔うように、回り回って何もかにもが「⾃分」に戻ってくるのである。⾃我との闘い。他者の中に⾃分を探ろうとする試み。それがドンドンと精度を⾼めることによって、誰もが「私たち」という⾔うようになったりするのかもしれないなぁ・・・。
ワタシが組織を⼤きくできなかった理由がわかった。笑
《有限会社ペーパーカンパニー・中村修治》
私は吹けば⾶ぶような事務の契約社員で、ときおりどこかにコラムを書いているしがない障害者に過ぎない。この私が複雑な「eso.lab」を担当させていただけているのは望外の喜びである。さて、今号は私が細⽥社⻑のインタビューを担当させていただいた。初めて会った細⽥社⻑は⼀⾒物腰が柔らかい紳⼠であった。でも、奥にはなかなか複雑なものが眠っているように感じた。しかし、社⻑⾃体が複雑なものを⾔葉に出来ていない、そういうもどかしさがあるようだった。
今回は私の⼒不⾜もあり、なかなか深いところまで踏む込めなかったこと出来なかった。今後、またインタビューする機会があればもっと社⻑の奥にあるものを引き出し、⾔語化できるように努⼒したい。中村先⽣や私は⾔葉のプロとしてこの企画に関わっている。社⻑がまだ⾔葉に出来ていないこと、⾔葉にしたいことをすくい上げて形にする。その作業の果にどのようなものが出来上がるか、最後まで伴⾛していく覚悟である。
《障害者作家・くらげ》
話し⼿
細⽥洋平
(ほそだ・ようへい)プロフィール
宮崎県出⾝。電気通信⼤を1989年卒。⼤⼿監査法⼈での上場⽀援やシステム開発・コンサルティングに従事した後、⼤⼿化粧品通販会社の社⻑を経て、2010年当社設⽴。現在は、天然原料をつかったオーガニックコスメの⾃社ブランド「HANA organic」をECや店舗で販売するBtoC事業と、メーカー向けにコンサルティング、フルフィルメントなど通販⽀援事業を⼿がけるBtoB事業を展開する。
聞き⼿
くらげ
プロフィール
聴覚障害と発達障害(ADHD)のある事務職のしがないサラリーマン。時々作家。⼭形県出⾝。2013年に「ボクの彼⼥は発達障害」で作家デビュー。それ以降、本業の傍ら書物仕事や講演を通して障害理解を広める活動をしている。
調整した⼈
中村修治
(なかむら・しゅうじ)プロフィール
キナックスホールディングスとペーパーカンパニーの代表。1986年、⽴命館⼤卒。94年、福岡で独⽴。戦略プランナーとして多様な企業の広報活動のブレーンとして活動。ネット上でコラムを書くと数万のアクセスを荒稼ぎ。⾃⾝のフェイスブックのフォロワー数は、約10000⼈。現在は、コラムニストとしての知名度も⾼い。